ミッドサマー感想[ネタバレあり]
今なにかと話題のミッドサマーを見てきた。
個人的には結構楽しめたので、ネタバレ全開で感想書いてみたい。
ネタバレ感想を書くその前に
ミッドサマー、個人的にはとても楽しめたのだけど、ある種の地雷を持ってる人には刺さりすぎるのでやめたほうがいいかなとも思った。
具体的な地雷ポイントは以下の通り(ややネタバレ)
- 浮気
- エロ、グロ、ゴア
- 身内の不幸
- 自殺
- クソ田舎
- カルト宗教
- 閉鎖的コミュニティ
- ドラッグ
これだけ見るとやべーやつじゃんって思うかも。
いや、実際やべーやつなんだけど。
でもこの映画を「救済」「セラピー」と捉える人もいるし、一理あると思ってしまう自分もいる。
そんな映画なので地雷じゃない人は見に行ってみるといいと思うよ!
ネタバレ感想、考察
ここから先はネタバレ感想。
奴らの行動は完璧だった
見終わって一番に思ったのはこれだった。
奴らというのはホルガの人達。
そして何が完璧かというと、ホルガのコミュニティを維持*1することを目的とした場合のしきたりや行動である。
新しい血が欲しいけど…
ホルガというコミュニティは狭く、人の往来がないところで発展してきた。
劇中でも言及されているが、そのようなコミュニティでは近親交配の危険性が高まり、遺伝子的に弱くなる=永続的なコミュニティの維持が難しくなる。
そこで必須となるのが、ホルガの外の遺伝子を定期的に取り込むことである。
そして主人公達は不幸にも?そのタイミングに巻き込まれた*2というのが物語の背景である。
ホルガの外の遺伝子を受け入れるということは、ホルガの外の人間を受け入れることでもある。
そして、外の人間を受け入れるということは、外の文化の流入も意味している。
しかしながらホルガはクソ田舎のカルト集団で閉鎖的なコミュニティでもある。*3
他の文化の流入は自分の文化の変化、下手をすれば崩壊を招く。
独自の文化によってまとまっていたコミュニティにおいて、その文化が変化、崩壊を起こしてしまったらコミュニティの崩壊、分裂を引き起こしかねない。
つまるところ、新しい血は欲しいけど新しい文化はいらない状態だったのだろうと思う。
しかも現代のフィンランドとかいう先進国でドラッグキメキメの生贄の風習なんてやっているのがバレたら一発アウト。
受け入れた新しい血は外に出してもいけないのである。
そうなると取り入れた新しい人間に対してできるのは、殺すかホルガ色に染め上げるかである。
そして実際、ホルガ文化を受け入れられなかった、外に持っていきそうな人達は殺され、受け入れられたダニーは生き残った。
しかも殺された理由には生贄の風習を紐付ける。
ホルガの住人的には正しいことをしている。
もうね、ものの見事に目的を達成していて完璧じゃん……と思った。
巡礼の世代は何をしていたの
ホルガというコミュニティおいて、18歳~36歳の世代はホルガの外へ旅に出る。劇中では巡礼の世代と言われている。
そんな彼ら、外の文化に触れて、一般的な倫理的にも法律的にもホルガの風習は危険であると客観視できるのに、それを止めないどころか加担している。
何をしてるのあなたたち…と言いたいところだけれど、まぁどうもできない状況なのかなとは思う。
もちろん、そう思うにも理由はある。
三つ子の魂百まで理論
まずはこれ。
巡礼の世代に入るまでの0歳~17歳、まさしく人格形成の一番大事な時期にホルガの文化に染められてしまえば、異なった思想を持つのは難しい。
特に、テレビやラジオといった外界の情報が遮断されているような環境ではなおさらである。
大人の特権
次にこれ。
巡礼の旅を終えてホルガに戻った後、待っているのは労働の世代としての役割と、その先の教育の世代としての役割。
これらに何らかの特権、あこがれる要素があるんじゃないかなと思った。
具体的なものは劇中で示されていないのだけれど、そもそも全体主義の世界ではそのコミュニティのために働くというのはご褒美だし、人の上に立つ、集団を率いるというのはいつだって快感を伴う。
もしかしたら、ホルガで使用している薬物の管理は労働の世代以上の大人が担っており、それが目的だったりなんてことがあるのかもしれない。*4
戻らなかったら殺される
最後にこれ。
仮に巡礼の旅で多文化に触れ、ホルガの異常性に気付くことができたとして、その後どうするか。
文化を外に漏らしたり妨害したりすればどうなってしまうのか……中にいた人なんだから知らないわけがない。
現代の倫理に目覚めたとしても、それでもホルガの倫理に従わざるを得なかったことは容易に想像できる。
巡礼の世代ってなんのためにいるの
そうなると、巡礼の世代はなんのためにいるのか。
一番は新しい血を探すための要員なんだと思う。
また、他の文化からの侵略を防ぐためにあえて他の文化を知るという役割もあるかもしれない(そう思う理由は後述)。
客観的にみると人格者
ホルガの人達を見ていて思ったのは、みんな表面上は人格者だということ。
- 基本温厚
- 優しい
- 話し方、立ち居振る舞いがしっかりしている
- 英語も話せる(それも子供も!)
- ルーンも知ってて文化を尊重するなど教養がある
- 他人を思いやれる
- 薬品の用法容量を守る(世間的に正しいかは別)
etc...
と、根拠の例を上げればいくらでもあるのだけれど、序盤のペレやホルガの人達のように基本的には人格者に見える。
またそれがホルガの狂気といいコントラストになっていていいよね……
と思うのと同時に、なぜあんな閉じたコミュニティで人格者でいられるのかと考えたくなる。
巡礼の世代
上でも書いたが、自分の文化を守るため、巡礼の世代の間に他の文化を勉強しまくっているんじゃないかと思う。
他の文化を入れないとは言いつつも、対外的に人格者として振る舞えること、あくまで現代人だけど文化保全の一環としてやってますよ的な態度を取ることで*7来訪者の警戒レベルを下げられるんではなかろうか。
感情の抑制と発散
個人的に気になっているシーンとして、序盤で「精霊よ悪しき感情とともに死の国へ帰れ」というセリフがあり、生贄のシーンではわざとらしく怒ったり、悲しんだりしていた。*8
その流れから思ったのは、普段はマイナスな感情を抑制し、発散させるときは皆で一緒に発散させましょうといった教育なり習慣があるのかなということ。
そしてそれによって感情のコントロールができているのかなと。
薬物の有効利用
( ᐛ👐)パァ
ホルガ的コミュニティ維持の秘訣
ここまで書いてみて、もしかしてホルガの文化からコミュニティ維持の秘訣が学べるのでは?と思った。
具体的に挙げてみると
- 皆普段は朗らかに人格者でいましょう
- 外部からの新規参入は定期的に受け入れましょう
- でもローカルルールを乱すやつは許すな
- 共通敵を見つけたら容赦なく敵意むき出しにして皆で叩け
……みたいな?
いや怖いな…でも少なくともそういう面はどのコミュニティにもありそう( ◠‿◠ )
絵と物語の対比
本編中、あからさますぎるくらいに絵で伏線を張り、その先の物語を説明している。
あまりにもあからさまなのでネタバレといえばそうなんだけど、その一方でやってることが大抵エグいし、抽象的である。
なので、いつ誰にこの絵のシーンが当てはめられるのかというハラハラ感と、その絵はどういう解釈なんだろうといった考察の、ある種ホラーと推理物のテイストも楽しめた。
にしてもラブストーリーの流れは「マジかよエグいな」からの「ほんとにやりやがったよヤバイな!」でしたねやばいよ!
鏡の利用
今作で特徴的だったのは鏡の利用、特に序盤での鏡越しの会話だったように思う。
しかしながら、あのシーンがなぜあんな構図だったたのかにはいまいち答えを得られていない。
というのも、当初は会話してる人たちの気持ちの違いや、生き残る人or死ぬ人の違い等を考えていたものの、実際にはどちらも違っていた。
まぁペレの存在がその原因なんだけど!
なにかいい感じの考察あったら教えてください。
ほんとに90年に1度……?
ひと通り書きたいことを書いて思ったのだけど、これ、ほんとに90年に1度のお祭りなの…?
というのも、90年という確実に世代が分断するスパンがあっても儀式の内容がきっちり伝わっている。
なにより、みんな手慣れている。
9年に1度とかやってるんじゃないの…?
むしろ毎年やってて、毎回「90年に1度」って言ってるんじゃないの……?
と思ってしまうのでした。
ビーコンを使う理由と使わなくなった理由
みんな大好きスプラトゥーン。
無印でも2でもジャンプビーコン(以下ビーコン)を愛用していたけれど、だんだんと持たなくなったなぁとふと思った。
なのでその理由を書いてみる。
とりあえずどこかには残しておきたい。
ビーコンを使う理由
正直なところ、ビーコンは他のサブウェポンに比べるとマイナーだし目立たない。
リザルトに直接反映されるギミックが全くない。
ならなぜそれを積極的に持とうと考えたか。
それは、ゲームのルール・仕様に対して、ビーコンでできることが非常に有利であると考えたからである。
その理由を考える上で、次の2点から考えてみる。
- スプラトゥーンはどんなゲームか
- ビーコンは何ができるか
スプラトゥーンはどんなゲームか
「スプラトゥーンってどんなゲームなの」と聞かれたとき、どう答えるか。私は次のように考えている。
- 4対4で実施する陣取り合戦
これについては、やり始めたときから今でも変わらない。
また、どのルール、最終的な勝敗条件によらず本質的にはこれだと思っている。
ビーコンは何ができるか
ビーコンは何ができるか、単純な仕様の話をすれば次の通りである。
- 味方のビーコンに向かってスーパージャンプができる
しかしながら、スーパージャンプというアクションの仕様を考慮して言い換えると、次のようになる。
- 味方のビーコンが置かれた位置に安全、確実、迅速に移動できる
ただし、移動後が安全かどうかは別。
あくまでも道中の危険を考えなくていいよねという話。
そして、ビーコンを設置する側は上記のような味方の移動先を作れるということになる。
では、なぜそれが強いと思ったのか。
人数有利を作りやすい
陣取りゲームで勝つためには何が必要か。
陣取りゲームの流れは、特定の場所に対して
- 索敵
- 移動
- (既に敵がいれば)殲滅
- 占領(塗り)
- 陣地構築(後衛の配置等)
- 防衛
といった流れになると思う。
これらの行動を取る上で、相手より優位なるために重要なことは相手との人数差である。
戦いは数だよ兄貴。
ここでビーコンの仕様を思い出すと、取りたい場所の近くに置くことで、そこに対して味方を安全、確実、迅速に送り込むことができる。
つまり、取りたい場所に対して人数有利を作りやすくなる。
実際、適切に置かれたビーコンと意図を組んでくれる味方が合わさると非常に強い。
実は指揮系統としての役割がある
主に野良での話。*1
そもそも指揮系統の仕事は何か。
味方に指示を出すこと、もっというと、指示を出した結果として他人を動かすことである。
スプラトゥーンの仕様上、他人に指示を出すことはできない。
しかしながら、ビーコンを置くことでその場所に他人を動かすことができる。
指示を出すことと同じ結果を得ることができるため、結果として指揮系統として機能することができると考えている。
「ナイスビーコン!」と言っているその先には、「計画通り」とニヤリとしているビーコン使いがいる。たぶん。そうかもしれない。
…と、やや飛躍した内容ではあるけれども私はそう考えている。
また、よほどの実力差がない限り統率の取れた集団のほうが強いのは明らかであるため、上記の人数有利を作ることよりも重要な役割だと思っている。
なぜ持たなくなったか
以上のようにビーコンを褒めてきたが、なぜ持たなくなったのか。
システムや仕様、試合の流れ、プレイヤー傾向等からビーコン持つ必要がないと思ったことが原因。
システム・仕様
システムや仕様の観点から考えると、ビーコンはそれほど強くない。
強くないというより、「あえてビーコン持たなくていいかな」という要素がある。
マップが狭い
何よりもこれ。
ギアパワーを考慮しない場合、前線へ辿り着く時間はイカ状態で泳いでいくのとビーコンに飛ぶのとでは数秒しか変わらない。*2
もちろんその数秒で状況が変わることもあるし、最大5分の中の数秒は貴重である。
しかしながら、道中SPを貯めたり、索敵したり、自陣塗りをしたり等を考慮すると、「あえて飛ぶ必要はないかな」という状況が度々発生する。
むしろ場所によっては飛ばない方がいいということにもなる。悲しい。
とはいえ、今よりもマップが広ければビーコンは強すぎるし、必須のサブウェポンになってしまう。
なので、「あえて選ぶ必要がない」今の状況はいいバランスなのかもしれない。
味方にスーパージャンプできる
ビーコンはスーパージャンプをする場所ではあるが、それはマップ上の味方も同様である。
また、味方にスーパージャンプするのも、ビーコンにスーパージャンプするのもそれぞれメリットデメリットがある。
ビーコンか味方か、それぞれスーパージャンプする先の選択肢の一つでしかない。
それならば、別のサブウェポンを持って戦線に影響を及ぼした方がいいといった考えにもなる。
あえて持つ意味が薄くなってしまう。
とはいえ、味方にジャンプできない仕様ならそれもまたビーコンが強すぎることになってしまうし、選択肢を増やすことに留めている今の仕様はバランスがいいとは思う。
ちなみに、無印の仕様におけるステルスジャンプは完全にビーコンをいらない子にしていた。
なのであの戦法は大嫌いだったりする。
使用回数が有限
現行の仕様*3では、1つのビーコンへスーパージャンプできる味方の数は2人である。*4
初期仕様の1人に比べればマシではあるけど、やはりネックになっている。
というのも、この仕様により発生する事象は
- 「使ってもいいのか」と味方が遠慮する*5
- 人数有利が継続し辛い
- そのため細かなビーコン管理が必要
などである。
1.については、味方が使ってこそ強いビーコンなのにそれを使わなくなるため、強くなくなってしまうのは必至である。
2,3.については、ビーコンを置く係の戦線離脱に繋がり、結果として人数互角どころか下手をすれば不利になる。
*6
もし使用可能回数が無限だったら強すぎるのは言わずもがなだが、せめて時間制限で無限、またはもう少し使用可能回数多くても良かったかなとは思う。
試合展開
ここから先は特に、実際に自分がプレイをする中で感じた感想。
しかも「全体的にこんな感じがする」というふわっとした感想。
まず、試合展開に関して。
スプラトゥーンの試合展開からして、ビーコンが役に立つことはあまり多くないなといった印象。
1試合の時間が短い
その理由の一つとして、1試合の時間が短いことが挙げられる。
どのルール、ステージでも「取りたいポイント」というのはいくつかあるわけだけど、数分の間にそのポイントに対してビーコン置いて、戦闘して、占領して…などと悠長にはやってられない。
より「相手を倒せる」「防衛ができる」サブウェポンを選択した方がいいとさえ思う。
戦況が変わりやすい
狭いステージと短い試合時間、また、それらを成り立たせるための各種調整を考慮すると、必然的に戦況が目まぐるしく変わる。
ゲームスピードが早いともいう。
それに対して、ビーコンは一度ビーコンを置くという作業が発生することから展開が遅い。
試合展開に合わせて対処療法的にビーコンを展開していったのでは追いついていけない。
もちろん、それを見越して数手先を読んで設置していくことが大事ではあるのだけど、その数手先を読んで置いたビーコンの意図を味方が汲み取るかといったら話は別である。
見える景色が違う
ビーコンを持たなくなって気づいたのだけれど、ビーコンを前提とした立ち回りと前提としない立ち回りでは見える景色が全く違う。
なので、味方がビーコンを使わない、ビーコンに気付かないのは仕方ないと感じた。
プレイヤー傾向
正直なところ、ビーコンが強くないのは仕様云々や試合展開云々より、プレイヤー傾向のミスマッチが大きいと思っている。
定石の流布と固執
前のエントリにも書いたけど、多くのプレイヤーは強い誰かの発言に右へ倣えである。
さらに言うと、それに固執する。
これにより、良く言えば指揮を取らずとも統率が取れているのでビーコンは重要でない。
しかし悪く言うと、定石に縛られて臨機応変に対応ができない。
それに対し、ビーコンは定石通りに置くのではなく、基本機能と役割を把握した上で状況に合わせて臨機応変に置く必要がある。
なのでこの状況とは非常に相性が悪い。
さらにいうと、ビーコンがマイナーサブであることも相まってあらゆる定石はビーコンを前提としていない。
もはや持たないほうがいいのではとさえ思えてくる。
悲しい。
集団よりも個人の力量
スプラトゥーンはチーム戦だ!
という主張はよく見かけるが、結局のところ個人の対面での力量が大きな要素として見られている。
というか、「チーム戦だ!」の内容も「周りをよく見て味方に合わせましょう」なので、結局は「味方に合わせる力」という個人の力量だしね。
それに対してビーコン、特に指揮系統の役割として使う場合は、集団をどう動かすかという前提で考える必要がある。
そもそもの前提が食い違っているのでどうしようもない。
ビーコンに気付かない・使わない
今までの中でも述べたけど、ビーコンに気付かない、使わないプレイヤーが多い。
使ってくれるプレイヤーの方が圧倒的に少ないほど。
味方にも使ってもらってこそのビーコンなので、そんな状況では活躍しきれないのは火を見るより明らかである。
まとめると
以上のようにいろいろ書いてきたが、まとめると次の通りである。
- ゲームのルールとビーコンの仕様を考えると超強いと思ったが、実際使ってみるとそうでもない環境だった。特にビーコンの強さ、価値がプレイヤー間で共有されていない状況ではむしろ弱い。
一言で言うなら、
- 色々と思ってたのと違う!
である。
まぁ、そんなときもあるよね。
今後強くなる、または流行るか
ない。
今後仕様が大きく変わるほどのアップデートは来ないであろうということもあるが、それ以上にプレイヤーの傾向と噛み合ってない。
逆にプレイヤーの認識が変われば十分活躍できるポテンシャルはあるので、有名実況者やプロゲーマーがビーコンの魅力を説き続ければ流行るんじゃないかな。
なんでもそうか。
最後に
ビーコン愛こじらせた結果がこのクソ長エントリだよ。
さくっと終わらせるつもりだったのにどうしてこうなった。
まぁ、なんだかんだ言いつつも、ビーコンと味方が噛み合って試合をコントロールするのは非常に楽しい。
あの快感は全プレイヤーが味わうべきだと思う。
次回作にも実装されてほしいな……
構築戦向いてないなと思った話
ポケモンのランクマッチをやってみて、構築戦のようなシステムって向いてないなと思った。
もちろんそのシステムを非難するつもりはなく、単に自分はこうなんだなというだけの話。
構築戦で勝つために必要とされること
対戦ゲームである以上、相手に勝つことが至上命題になる。
では、構築戦のようなシステムにおいて勝つためにはどういった要素が必要か。
おおよそ以下の通りだと思う。
強いユニットが何かを勉強し、手に入れる
ゲームの仕様上、ユニット同士に性能差があることは仕方がない。
また、そういったユニットを対面させることで対戦をする以上、より強いユニットを手元に置き、使う必要がある。
定石、型を学ぶ
強いユニットがなぜ強いのか。
単純にステータスが数値的に優れている場合もあるが、強いとされる定石の型、戦術を使うために必要な場合もある。
また、単体で強いユニットをより強く使うための定石もある。
そういったユニットの使い方も学ばなければせっかくの手持ちも無駄になってしまう。
環境、流行を学ぶ
強いユニットや戦術は日々研究され、発見されている。
であれば何を使うべきか。
ユニットや戦術には相性があり、下手な選択をすれば一方的にボコボコにされるだけである。
したがって重要となるのは、対戦環境における流行、いわゆる環境を知ることである。
流行する理由の最たるものは勝率が高いことであるため、単純に模倣をすれば自身の勝率も上がると考えられる。
流行りに対する対抗策を学ぶ
とある構成が流行しているということは、ランダムにマッチングをしても高確率で相手になるということでもある。
同じ手札で殴り合って勝てるなら良いが、五分五分になるのは明白。
そこで流行への対策を取る必要が出てくる。
流行、つまり、高確率でマッチングする構成に強ければ勝率も高くなっていく。
また、そういった流行への対策が次の流行へと繋がるため、上記の流行を学ぶといったことにも繋がる。
上記をゲーム外で実施する
以上のように勝つために必要と思われることを書いたが、それらはあくまでも準備段階だったりする。
勝つためには上記をこなしてやっとスタートライン。
特に、誰でも簡単に情報を手に入れられる、むしろ調べずとも勝手に耳に入ってくるような世の中では、初心者がレート上位の構成を真似て挑んでくるなんてことはよくある話である。
そのため、勝つための勉強を対戦を楽しみながらやるのでは他者には追いつかず、予め学ばなければならなくなる。
レートとは。
自分のプレイスタイル
構築戦のようなシステムで勝つためにはというのを思いつくまま書いたが、なぜそれが自分に合わないか。
端的に言えば自分のプレイスタイルで勝つことは困難だから。
そしてそれを変えようとは考えていないから。
というか、プレイスタイルは何に価値を置くかという話なので、価値観に合わなければ別のものに移るだけ。
では、自分のプレイスタイル、何に価値を置くかどういったものか。
基本的に攻略を見ない
強敵や対戦相手への勝ち方、パーティーや装備の構成は自分で考えることに価値があると考えている。
そしてそれを考えているときが一番楽しくもある。
したがって、予め攻略を見て強い構成を作ってしまうというのは基本的に論外だと思っている。
しかしながら、攻略情報が氾濫する今の世の中では、その方法は他者の何歩も後ろを歩いていることになる。*1
当たり前だけど、そんなことをしていたら勝てない。
楽しくはあるんだけどね。
試行錯誤を繰り返す
勝てないときはもちろん、勝ててるときであっても、もっといい方法、構築がないかと試行錯誤をする。
そしてそれが当たり前だし、必須であるとも考えている。
しかしながら「トライアンドエラーをしたくないプレイヤーが多い」などと言及され*2、その最適解も簡単に得られる世の中では他者との差は簡単に開く。
もちろん勝てない。
楽しいんだけどね。
「気に入ったもの」を使うことを重視する
例えば、ポケモンならタイレーツ、スプラトゥーンならヴァリアブルローラー。
それを好きになる理由は様々ではあるけれど、一度好きになったらそれを多用する。
対戦環境において明らかに不利とわかっていても使う。
むしろ不利な状況でいかに戦うかを楽しんでいたりする。
勝てる勝てないかでいうともちろん勝てないけど。
同じ状況が続くと飽きる
これが一番ネックな気がする。
同じ構成、同じ戦術の相手との対戦が続くと簡単に冷めて飽きてしまう。
そして、声の大きい人が強い構成を発表すれば、あっと言う間に拡散され、上から下までそれで染まってしまう世の中である。
対人戦をどんなにこなしても同じ構成と当たり続ける。
こうなると正直なところ飽きてしまうので、勝ち負けや楽しい云々以前の問題になってしまう。
私がやりたいのは対人であってNPC戦じゃないんだぞと言いたくはなるが、まぁ世の中の流れと仕組み的にもうどうしようもない。
結局のところ
とまぁ、だらだらと書いてみたが、まとめると以下の通り。
- 自分の力で考えてパーティを組む、構築をすることがプレイの醍醐味であると考えており、それを重視しているが、他の多くのプレイヤーはそうは思っておらず、大多数に対する価値観の相違が発生している。
- 対戦に参加している多くのプレイヤーは完成形の最適解を求めており、それは容易に入手できる。また、それが当たり前、対戦するうえでの前提条件となっており、自分のプレイスタイルではその前提条件をクリアすらしていない状態である。
- 多くのプレイヤーは攻略サイトや強いプレイヤーに対して右へ倣え状態であり、似たような構成や戦術が簡単に流行し、上から下までそれに染まってしまう。また、そういった対戦環境ではすぐに飽きてしまう。
以上。
結局のところ、構築戦のシステムそのものではなく、参加しているプレイヤーによって作られる対戦環境が性に合わない。
これがおっさん化か…?
いや、「昔はこうだった」とかは考えていないので、それはないと思いたい。
ポケモンだけじゃないよね
このことを考えたきっかけはポケモンだが、ポケモンに限った話ではない。
TCG全般、有名どころのソシャゲにはおそらく当てはまる。*3
また、個人的にはスプラトゥーンのガチマッチに関してかなり当てはまると実感している。
各々の操作技術という不確定要素が試合の勝敗にかかわる大きな要因ではあるものの、SNS等で声の大きい誰かが強い武器やギア構成、立ち回りなどを発信すれば、多くのプレイヤーが一斉にそれに倣い、染まっていく。
ナワバリバトルならまだしも、勝敗に対する付加価値が大きいガチマッチではその傾向が顕著だし、実際にそれが原因で足が遠のいてしまった。
幸せになれる道はあるのか
プレイスタイルと現実の対戦環境が噛み合わない中、幸せになる道・楽しむ余地があるのだろうか。
正直なところ、ないと思う。
パーティなり装備選択なり、「自分で構築すること」こそがプレイスキルだと考えているため、ランクマッチでの低ランク帯ならそれなりに楽しめるのではないかと考えていたこともあったが、実際はそうでない。
誰もが「ネットに書いてある最適解」を引っ提げて挑んでくるのが現状である。
これに関してはいいも悪いもない。*4
世の中の流れとしてそうなるのは仕方ないことであるし、それをやめろなんて言う気も無い。
言ったところで誰も聞かないだろうしね。
じゃあ自分が幸せになるにはどうすればいいかというと、その界隈から離れるのが最適解になってしまう。
寂しくはあるけど、まぁ仕方ないよね。
そうでないゲームはあるか
こと対戦ゲームにおいて、強いユニットや戦術、定石を事前に調べたり、強い人の言うことに右へ倣えするというのは当たり前に行われている。
それならすべての対戦ゲームが楽しくないかと言われると、そうでもなかったりする。
具体的にどんなものが相当するかというと、事前準備はあくまでも最低限のアドバンテージにしかならず、実際のプレイングでの技術*5が重視されるものである。
もちろん、プレイングでの技術を事前に学習することはできるが、それを身につけるには自分でプレイするしかない。
ネットで見つけた最適解を振り回すただけでは意味のないものである。
例として思いつくのは以下の通り。
最後に
思いつくままに書いていたら無駄に長くなってしまった。
ここまで書いていて言うのもアレだけど、根本的な原因はプレイヤー全体のガチ化、コンスタントに勝ちのみを狙いにいく姿勢の強化にあると思う。
e-Sportsもそれに拍車をかけているのかなぁと。
それはおそらくプレイ人口の増加、特に新規参入の増加により解消または、二分化による棲み分けができるようになるんだろうけど、ガチ化が進むほどに新規参入は遠のくよねというジレンマ。
難しいね(´・ω・`)
年末年始なにしてたっけ
あけましておめでとうございます。
気付けば年が明けてからだいぶ経ってしまいました。
今年の年末年始は体調を崩したこともあってずっと実家でのんびりしてた気がする。
去年一年いろいろと大変だったので、年末年始ぐらいのんびりできてよかった……
とはいえ寝たきりというわけではなかったので、何をしていたのかメモ程度に残しておく。
動画視聴
NetflixやらAmazonPrimeやら、何かとお世話になった。
つい完走してしまったのは次の二本。
どちらも面白かった。
特に結婚できない男は、富と権力を自分が手に入れたらこうなりそうだなと、乾いた笑いをしながら見ていた。
いや、流石にあそこまで性格ひねくれていないとは思うが……
誕生日と料理
1月2日は誕生日。
そしてここ数年、自分の誕生日に自分で料理を作るのが定番になっている。
今年はローストビーフでした。
要約すると食っちゃ寝して動画見ながらポケモンしてるだけの年末年始だった。
まじ煩悩だらけ!
#煩悩事変
そんなわけで、大晦日に煩悩事変のタグでつぶやいていたら作者の機能美Pに写真を採用していただきました。
ありがとうございます。
そして第28回DoGA CGアニメコンテスト入賞おめでとうございます!
煩悩事変を見ろ…!
https://youtu.be/wyV75NBlsRY
平面惑星を見ろ…!
https://youtu.be/SOfstFs0oCo
ガチとエンジョイとマイオナの狭間
なんだかんだ続けているポケモン。
主にタイレーツ必ず選出でレートに潜ったりしている。
レートの現状はおおよそ勝率5割をキープしつつ、スーパーボール級のランク8ぐらい。
まだまだ試合数は少ないけど、今時点で思ってることを書き残してみる。
試合数増やしたいんだけどね……年末はなにかと忙しくて厳しい……
同じ編成しか見ない
兎にも角にもこれ。
レート低いところなら大丈夫かと思ってたけどそんなことはなく、体感8割以上は同じ編成。
ドラパルト、ミミッキュ、ドリュウズ、ロトムはほぼいるとして、残り2枠にトゲキッス、バンギラス、ギャラドス、サザンドラ、サニーゴ、ウオノラゴンあたりが来るようなイメージ。*1
ネットで言われている、いわゆる強いポケモンを集めましたみたいな。
別に使うことは否定しないし、「レートを上げる」ことが目的なら理にかなっている。
でも使うからにはとっとと上に行ってくれとも思う。
だって同じような構成ばかり相手にしてもつまらないんだもの…
その代わりと言ってはなんだけど、独自な構成の人と対戦するのはとても楽しい。
最後までわからない試合って白熱するよね……!
レートと住み分け
こんなこと書くとレート来んなと言われそうだが、むしろ逆だと思っている。
というのも、レート制というのはそもそも住み分けのためにあると考えているからである。*2
端的に言うと、弱い人は低ランク、強い人は高ランクで競い合う。
そしてここで言う強い、弱いはポケモンの選択センスも含まれる。
「つよいポケモン、よわいポケモン、そんなの人の勝手」とは言うけれども、相性やら種族値やらでそうも言ってられないのが現実。
「弱いけどこの子を使いたい!」というパーティーなら対戦弱い(=低レート)のは当たり前だし、「勝ちたいからネット推奨パーティー使う!」なら対戦強い(=高レート)のも当たり前である。
しかしながら現実は低レートまでテンプレパーティばかり……まぁ、発売後まだ日が浅いから仕方ないんでしょうけど(´・ω・`)
なんせよ私は好きなポケモンでレート潜るよ!
どこからが線引きなのか
しかしながら、幸か不幸か勝率5割を維持できている。そして勝率5割維持でマスターボール級に行けるらしい。
好きなポケモンで勝つ努力をした結果なので嬉しいといえば嬉しい……のだが、このまま上を目指すかどうかは悩むところ。
というのも、上のレートに行くほど流行りの構成しかいないのは想像に難くないし、そんな環境では自分も流行りに乗るしかなくなってくる。*3
そしてそれが自分の使いたいポケモン、使いたい戦術とマッチするかと言われると違うだろうし、そんな状態で楽しめるかと言われてもそれも違う。
そもそも流行りの環境ではレート上位の人の言ったことに従うのが一般的には正しいとされているし、そしてその情報は嫌でも目に耳に入ってくるので試行錯誤も楽しめない。*4
かと言ってわざとレート落とすのも相手に失礼だし、同じレートに居続けるのもつまんないよなぁ……
と、ガチ勢思考とエンジョイ勢思考とマイオナ勢思考を行ったり来たりしてるのでした。
次はパルスワン使おう!
2019年やったゲーム
ゲームオブザイヤーが発表されましたね。
SEKIROおめでとうございます。
個人的に推してるゲームが受賞にまで至ったのが初めてなのでとても嬉しいです。*1
年末だし、ついでに今年主に遊んだゲームでもさかのぼってみたい。
1月
2,3月
4月
隻狼
今年のナンバーワン。
ほんとに面白かったし、トロコンまでやり込んだ。
7月
マリオメーカー
意外にもハマってしまった。
でも色々と忙しくて、2、3個ステージを作ったぐらいで積んでしまった……
8月
マイクラ
モンハンアイスボーンまでのつなぎのつもりで新規ワールドを作成。
まともにやるのは久しぶりだったので、新仕様やらなにやらで気づいたら1ヶ月遊び倒してた。
やっぱり時間泥棒ですわ……
9,10月
MHW:I
今年のナンバー2。
MHWの時点でとても楽しかったのだけど、それを超える面白さがあった。
笛の最終強化をすべて揃えるぐらいにはやり込んでしまった。
ぼたもち on Twitter: "#PS4share
https://t.co/ttNThojlMw… "
でもゼノ成体はあまり好きな仕様ではなさそうなのでスルーしそう。
11月
DEATH STRANDING
今年のナンバー4。
感想は前書いたとおり。