ミッドサマー感想[ネタバレあり]
今なにかと話題のミッドサマーを見てきた。
個人的には結構楽しめたので、ネタバレ全開で感想書いてみたい。
ネタバレ感想を書くその前に
ミッドサマー、個人的にはとても楽しめたのだけど、ある種の地雷を持ってる人には刺さりすぎるのでやめたほうがいいかなとも思った。
具体的な地雷ポイントは以下の通り(ややネタバレ)
- 浮気
- エロ、グロ、ゴア
- 身内の不幸
- 自殺
- クソ田舎
- カルト宗教
- 閉鎖的コミュニティ
- ドラッグ
これだけ見るとやべーやつじゃんって思うかも。
いや、実際やべーやつなんだけど。
でもこの映画を「救済」「セラピー」と捉える人もいるし、一理あると思ってしまう自分もいる。
そんな映画なので地雷じゃない人は見に行ってみるといいと思うよ!
ネタバレ感想、考察
ここから先はネタバレ感想。
奴らの行動は完璧だった
見終わって一番に思ったのはこれだった。
奴らというのはホルガの人達。
そして何が完璧かというと、ホルガのコミュニティを維持*1することを目的とした場合のしきたりや行動である。
新しい血が欲しいけど…
ホルガというコミュニティは狭く、人の往来がないところで発展してきた。
劇中でも言及されているが、そのようなコミュニティでは近親交配の危険性が高まり、遺伝子的に弱くなる=永続的なコミュニティの維持が難しくなる。
そこで必須となるのが、ホルガの外の遺伝子を定期的に取り込むことである。
そして主人公達は不幸にも?そのタイミングに巻き込まれた*2というのが物語の背景である。
ホルガの外の遺伝子を受け入れるということは、ホルガの外の人間を受け入れることでもある。
そして、外の人間を受け入れるということは、外の文化の流入も意味している。
しかしながらホルガはクソ田舎のカルト集団で閉鎖的なコミュニティでもある。*3
他の文化の流入は自分の文化の変化、下手をすれば崩壊を招く。
独自の文化によってまとまっていたコミュニティにおいて、その文化が変化、崩壊を起こしてしまったらコミュニティの崩壊、分裂を引き起こしかねない。
つまるところ、新しい血は欲しいけど新しい文化はいらない状態だったのだろうと思う。
しかも現代のフィンランドとかいう先進国でドラッグキメキメの生贄の風習なんてやっているのがバレたら一発アウト。
受け入れた新しい血は外に出してもいけないのである。
そうなると取り入れた新しい人間に対してできるのは、殺すかホルガ色に染め上げるかである。
そして実際、ホルガ文化を受け入れられなかった、外に持っていきそうな人達は殺され、受け入れられたダニーは生き残った。
しかも殺された理由には生贄の風習を紐付ける。
ホルガの住人的には正しいことをしている。
もうね、ものの見事に目的を達成していて完璧じゃん……と思った。
巡礼の世代は何をしていたの
ホルガというコミュニティおいて、18歳~36歳の世代はホルガの外へ旅に出る。劇中では巡礼の世代と言われている。
そんな彼ら、外の文化に触れて、一般的な倫理的にも法律的にもホルガの風習は危険であると客観視できるのに、それを止めないどころか加担している。
何をしてるのあなたたち…と言いたいところだけれど、まぁどうもできない状況なのかなとは思う。
もちろん、そう思うにも理由はある。
三つ子の魂百まで理論
まずはこれ。
巡礼の世代に入るまでの0歳~17歳、まさしく人格形成の一番大事な時期にホルガの文化に染められてしまえば、異なった思想を持つのは難しい。
特に、テレビやラジオといった外界の情報が遮断されているような環境ではなおさらである。
大人の特権
次にこれ。
巡礼の旅を終えてホルガに戻った後、待っているのは労働の世代としての役割と、その先の教育の世代としての役割。
これらに何らかの特権、あこがれる要素があるんじゃないかなと思った。
具体的なものは劇中で示されていないのだけれど、そもそも全体主義の世界ではそのコミュニティのために働くというのはご褒美だし、人の上に立つ、集団を率いるというのはいつだって快感を伴う。
もしかしたら、ホルガで使用している薬物の管理は労働の世代以上の大人が担っており、それが目的だったりなんてことがあるのかもしれない。*4
戻らなかったら殺される
最後にこれ。
仮に巡礼の旅で多文化に触れ、ホルガの異常性に気付くことができたとして、その後どうするか。
文化を外に漏らしたり妨害したりすればどうなってしまうのか……中にいた人なんだから知らないわけがない。
現代の倫理に目覚めたとしても、それでもホルガの倫理に従わざるを得なかったことは容易に想像できる。
巡礼の世代ってなんのためにいるの
そうなると、巡礼の世代はなんのためにいるのか。
一番は新しい血を探すための要員なんだと思う。
また、他の文化からの侵略を防ぐためにあえて他の文化を知るという役割もあるかもしれない(そう思う理由は後述)。
客観的にみると人格者
ホルガの人達を見ていて思ったのは、みんな表面上は人格者だということ。
- 基本温厚
- 優しい
- 話し方、立ち居振る舞いがしっかりしている
- 英語も話せる(それも子供も!)
- ルーンも知ってて文化を尊重するなど教養がある
- 他人を思いやれる
- 薬品の用法容量を守る(世間的に正しいかは別)
etc...
と、根拠の例を上げればいくらでもあるのだけれど、序盤のペレやホルガの人達のように基本的には人格者に見える。
またそれがホルガの狂気といいコントラストになっていていいよね……
と思うのと同時に、なぜあんな閉じたコミュニティで人格者でいられるのかと考えたくなる。
巡礼の世代
上でも書いたが、自分の文化を守るため、巡礼の世代の間に他の文化を勉強しまくっているんじゃないかと思う。
他の文化を入れないとは言いつつも、対外的に人格者として振る舞えること、あくまで現代人だけど文化保全の一環としてやってますよ的な態度を取ることで*7来訪者の警戒レベルを下げられるんではなかろうか。
感情の抑制と発散
個人的に気になっているシーンとして、序盤で「精霊よ悪しき感情とともに死の国へ帰れ」というセリフがあり、生贄のシーンではわざとらしく怒ったり、悲しんだりしていた。*8
その流れから思ったのは、普段はマイナスな感情を抑制し、発散させるときは皆で一緒に発散させましょうといった教育なり習慣があるのかなということ。
そしてそれによって感情のコントロールができているのかなと。
薬物の有効利用
( ᐛ👐)パァ
ホルガ的コミュニティ維持の秘訣
ここまで書いてみて、もしかしてホルガの文化からコミュニティ維持の秘訣が学べるのでは?と思った。
具体的に挙げてみると
- 皆普段は朗らかに人格者でいましょう
- 外部からの新規参入は定期的に受け入れましょう
- でもローカルルールを乱すやつは許すな
- 共通敵を見つけたら容赦なく敵意むき出しにして皆で叩け
……みたいな?
いや怖いな…でも少なくともそういう面はどのコミュニティにもありそう( ◠‿◠ )
絵と物語の対比
本編中、あからさますぎるくらいに絵で伏線を張り、その先の物語を説明している。
あまりにもあからさまなのでネタバレといえばそうなんだけど、その一方でやってることが大抵エグいし、抽象的である。
なので、いつ誰にこの絵のシーンが当てはめられるのかというハラハラ感と、その絵はどういう解釈なんだろうといった考察の、ある種ホラーと推理物のテイストも楽しめた。
にしてもラブストーリーの流れは「マジかよエグいな」からの「ほんとにやりやがったよヤバイな!」でしたねやばいよ!
鏡の利用
今作で特徴的だったのは鏡の利用、特に序盤での鏡越しの会話だったように思う。
しかしながら、あのシーンがなぜあんな構図だったたのかにはいまいち答えを得られていない。
というのも、当初は会話してる人たちの気持ちの違いや、生き残る人or死ぬ人の違い等を考えていたものの、実際にはどちらも違っていた。
まぁペレの存在がその原因なんだけど!
なにかいい感じの考察あったら教えてください。
ほんとに90年に1度……?
ひと通り書きたいことを書いて思ったのだけど、これ、ほんとに90年に1度のお祭りなの…?
というのも、90年という確実に世代が分断するスパンがあっても儀式の内容がきっちり伝わっている。
なにより、みんな手慣れている。
9年に1度とかやってるんじゃないの…?
むしろ毎年やってて、毎回「90年に1度」って言ってるんじゃないの……?
と思ってしまうのでした。